夏の穂高連峰縦走2012(第4部)


いよいよ北アルプス縦走の最終日。
奥穂高岳を登り吊り尾根をトラバースした後、標高3,090mの前穂高岳から標高1,505mの上高地までその高低差約1,500mを一気に下りてくるという壮絶なラストになります。





06時24分
 翌朝も何となく霧がかかっていてベストなコンディションではありませんでした。この写真を撮った瞬間が一番晴れていたかもしれません。
 沢山の登山者がどんどん頂上に向けて登って行きます。





06時27分
 穂高岳山荘で水を購入して出発します。
 ここの水は標高3,000mを流れる水源地から取り寄せる水で「天命水」と名付けられています。飲んでみると何となく甘い感じがしてとても美味しいです。
 今回はテントにしましたが、次回はまた小屋に泊まりたいです。





07時19分
 登り始めるとすぐに霧が濃くなってきて周りの景色が見えなくなってしまいました。また、登山者が多いため最初の取付で渋滞が発生。最初のハシゴがある岩場を抜けるのに通常5分程度で行けるのですが、30分以上かかってしまいました。
 動くと熱いので半袖にしたのですが、渋滞で動かず、朝の風が吹き付ける中寒い思いをして必死で待っていました。

※ 最初の取付で恐怖感が出てなかなか先に進めないときは、潔く戻った方がよいです。後の人が先に進めないばかりか、戻るときの方が高度感がありますので、本当に動けなくなります。





07時25分
 間違い尾根に入り込まないように道標がはっきり立っています。ペイントもされています。





07時35分
 奥穂高岳登頂。
 人で溢れていました。
 これはたまらず、写真を撮ってすぐに吊り尾根側へ避難します。周囲の視界は無いに等しいので、行動食とかを食べてからすぐに吊り尾根へ向かいます。





08時01分
 吊り尾根は思っていた以上に整備がされていて歩きやすかったです。もちろん鎖を使うとこともありますが、そんなに大変ではありません。昨日の絶壁に比べればの話ですが・・・
 登山道に雪はありません。普通に歩いて行けます。





08時03分
 普段涸沢から見上げる雪渓を逆に上から撮ろうと思ったその瞬間、手前でなにやら動いているものが見つかりました。で、目を凝らしてみるとそこには雷鳥が砂浴びをしているではありませんか!!
 すかさず写真に収めようとしますが、彼は砂浴びに熱心でよく動くのでなかなかベストショットが撮れません。
 でもかろうじて撮れた良い写真がこれです。





08時06分
 雷鳥とお別れして少し進むと南稜の頭に到着しました。
 道標が立っているだけでとりわけ何か凄いものがあるというわけではありませんが、南稜の頭です。
 もしかして霧が晴れると凄く景色がいいのかもしれません。





08時10分
 鎖が登場します。
 奥穂高岳方面から来たひとなら問題ありません。鎖を使わずとも下りれるくらいです。この後、もう一カ所鎖がありますがそちらも高低差があるだけで技術的には難しくありません。





08時41分
 少し薄日が射してきました。周りの景色もだいぶ良く見えるようになってきました。涸沢側(写真左側)は絶壁ですが、岳沢方面(写真右側)はなだらかなので、安心して歩けます。





09時00分
 吊り尾根を進むにつれ、前穂高岳の存在が大きくなってきます。
 このころになると霧が晴れたりまた出てきたりを繰り返すのですが、最終的には夏山の直射日光がてりつけるようになりました。





09時12分
 霧が晴れ、岳沢が一望できます。真ん中には岳沢小屋がよく見えています。急に見晴らしが良くなって感激です。





09時25分
 今まで歩いてきた方面を見てみると、こちらも霧が晴れて夏山らしい姿を見せています。
 面白いですね。一瞬にして視界が無くなってしまったと思ったら、すぐに絶景が広がったり。これも山の魅力のうちの一つですね。





09時43分
 最低コルまで来ました。ここから前穂高岳にダイレクトに上がるコースもあるようですが、一般的ではないようです。
 日差しが痛いです。日差しは強いですが湿度が無いので下界に居るような蒸し暑さはないです。





10時32分
 紀美子平に到着。
 なぜ、紀美子平と呼ばれているか、それは「穂高岳山荘刊/槍穂高詳細図」に語っていただく事にしましょう。

 「穂高岳山荘の初代あるじである今田重太郎は大正時代から穂高開拓に専念してきました。昭和25年頃、絶えず遭難の起こる前穂高岳と上高地を結ぶ岳沢に安全な登山のできる道の建設に取りかかりました。妻のマキと幼少の娘・紀美子を伴っての工事でした。険しい前穂高岳の山腹に小さな平地を見つけてテントを張り、その中に紀美子を寝かせて夫婦は工事にいそしんだのです。
 やがて出来上がった道は誰呼ぶことなく重太郎新道と呼ばれ、多くの登山者に利用される道になりました。
 娘・紀美子は23歳になって突然病死しました。そしていつしかテントを張っていた場所を紀美子平と呼び親しむようになったのです」

 そして今日も、多くの登山者がこの紀美子平で登山の疲れを癒すべく休憩しています。ここに座っていると何か特別な思いがこみあげてくるような気がします。





11時10分
 紀美子平で休憩をした後、ザックをデポして前穂高岳に登ります。
 ここに来るまでがものすごい岩場の連続でしたので、普通に思えてくるのですが、実際はかなりきつい岩登りになります。夏の時期は水筒くらいは持って行った方がいいかもしれません。





11時39分
 前穂高岳登頂。
 ついに今回の縦走で最後の山に登頂しました。
 長期縦走の疲れも出ていて、正直キツかったのですが達成感はありました。





11時42分
 残念ながら奥穂高岳や槍ヶ岳方面は厚い雲に覆われていて全く見えませんでした。今日は全体的に雲がすごく多いです。
 さて、一通り景色を満喫したらあとは重太郎新道を下山するのみ。まずは紀美子平まで戻って、超重いザックを背負います。





12時51分
 重太郎新道は自分の予想ではもっと岩場の凄いところを下って行くのかと思っていましたが想像より普通に歩ける道でした。
 このような道を開発した今田重太郎は本当に凄い人なんだなと思います。何と言うか穂高に対する愛情が感じられます。





13時11分
 進むにつれ、ぐんぐん高度が下がり周囲の山を見上げるようになります。
 この4日間の縦走を思い返しながら、一歩づつ踏みしめて下りて行きます。体力が相当消耗しているのと炎天下の中の下山ですので、途中何度も休憩を入れます。

 足のウラが痛いです。太ももが筋肉痛です。肩もザックの重みで痛いです。首からぶら下げている一眼レフが日焼けした首筋に接触して激痛になっています。そんな状況になっても登山をするのか? 

 初日の蝶ヶ岳に泊まったときの中学生の率直な感想が脳裏を過ります。「大変だけど来てよかった」「山のすばらしさに感動した」等々

 それだけ山というのは人を引きつける魅力があるんです。穂高を愛した名ガイド今田重太郎。自分のような者は氏の足下にも及ばないですが、それでもこの素晴らしい世界を知って良かった、それだけでなく山を愛する人たちに是非ともこの世界を見てほしいという思いが強いです。勝手な推測ですが今田重太郎も穂高の素晴らしさを少しでも多くの人に知ってほしかったのではないでしょうか。
 重太郎新道を歩いていて、この道があまりにも素晴らしく作られているので本当にそう感じます。実際はあり得ないくらい切れ落ちた斜面を移動しているはずなのですが、ごく普通の山道の感覚で歩く事ができます。





岳沢小屋に到着したのは16時30分でした。
 もう体力が限界に来ていて進むのもやっとだったんです。水も途中でなくなり喉がカラカラでした。
 缶ジュース4本を一気に飲み干してしまいました。
 一休みして上高地に着いたのは終バスが発車したあとの19時でした。


今回の北アルプス縦走は色々な意味で大変勉強になりました。
長期間山の中に居る事で見えてきた事もあるような気がします。
そしてこの穂高連峰に対する愛情がより一層深まりました。知れば知るほど魅了的になってくるんですね。そしてもっと知りたいと思い、そうすると更に愛情が深まって行くんですね。

さあ、次はいつ行こうかな。



読んでくださりありがとうございました。




2012年7月28日




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